体験談

Aさん(30歳代)、妻が双極性障害

 妻は10歳代後半で双極性障害を発症したそうです。4回の入退院は延べ2年間におよび、その間には自殺未遂などもあったようです。障害者手帳は2級、障害年金も2級の給付を受けています。

 私が妻と出会ったのは、妻が20歳代後半の頃でした。今にして思えば、軽躁状態という症状の最中であったと思いますが、とてもエネルギッシュで習い事をいくつもこなすなど魅力的でした。話をする内容も面白く、すぐに打ち解けました。ただそのような状態は長続きすることはなく、うつ状態で外に出られなくなるなど、とても不安定な生活をしていました。支えてあげたいと思うようになり、結婚しました。

 結婚して間もないころは、症状の波を理解するのに苦労しました。症状がないときの妻は、普通の人とかわりません。パートタイムで働くこともできていました。傍らからみていて順調に思えましたが、少し責任がある仕事を任されるようになって、途端にうつ転してしまい、家から出られなくなり退職してしまいました。病院を受診し、気分安定薬に加えて、抗うつ薬を貰っていました。内服で落ち込んだ気分は良くなるのですが、高額な英会話の契約をしてしまったり、慈善団体に高額の寄付をしてしまったりと、家計を顧みない行動が出てきました。躁状態になっていることは明らかなのですが、妻自身に病識はありません。医師に正確な病状が伝わることもありませんでした。親族はうつで辛い状態の妻よりも、「活動的な今の姿が、本来の妻である」と捉えるので、私は孤立してしまい誰にも相談することができませんでした。ただこのエピソードで、なぜ妻が障害2級で、なぜ障害年金を受給できているかということを理解することができました。

 結婚して4年、子どもを授かることができました。妊娠する直前の妻の状態は、軽躁状態でエネルギーに満ちていました。重要な決め事をするのに症状を利用することは避けた方が良いですが、私も子どもが欲しかったことと、うつ状態の時に実現することは難しいと分かっていたので、この時ばかりは症状を利用してしまいました。

 妊娠が分かった時、初めて受診した産婦人科で病歴をみた産科医から「うちで診るのは無理かもね」ということを言われてしまいました。2回目の診察には私も同行し、院内の精神科を2人で受診することを条件に、診て頂けることになりました。精神科医とは主に薬の影響について話をしました。妻は妊娠が分かった時点で断薬をしていましたが、気分安定薬のリーマスを飲んでいた時期が、催奇形性を生じるリスクの高い時期と数日重なっていました。奇形で生まれてきたらどうするかという問題は重くのしかかってきましたが、「そうなったら妻と離婚して1人で育てる」と決意していました。幸いなことに子どもは順調に育ち、何の異常もなく生まれてきてくれました。

 子どもが生まれてすぐのころは、大変でした。妻はすぐに薬の内服を再開し、母乳は初乳だけ与えて後はミルクで育てました。ミルクの方が飲む量が安定するので、時間も一定になりやすいというメリットはあったと思います。3時間おきのミルクは、分業制にしました。妻は睡眠薬を飲んで寝てしまうので、夜中の3時と朝の6時は私の役割になりました。薬の副作用で手が震えてしまうことがあるので、沐浴も私が行うか、妻と一緒にやっていました。残念だったのは親族の協力が得られなかったことです。9時、12時、15時のミルクやおむつ替えは、妻が動かない体を無理やり動かし、それこそ死ぬ思いでこなしていました。ミルクをあげ終えると、その場で動けなくなってしまいます。哺乳瓶などはその場に置き去りになってしまいますが、それを見た親族は「衛生的じゃないから、片付けなさい」と指示します。最近の哺乳瓶の殺菌をする機材は優秀で、少しぐらい放っておいても私が帰宅してから消毒すれば何の問題もありません。でも「こうやるべき、ああやるべき」を押し付けられてしまっていました。口を出すくらいなら手伝ってくれれば良いのですが、それはしてくれなかった為、親族を当てにすることはほとんどできませんでした。

 新生児のところには自治体から訪問が必ずやってきます。我が家を訪問してくれた保健師さんからは、母親が病気であるという診断書や障害手帳を提出すれば、保育園を利用できると教えてもらいました。実はその話を聞くまでは、共働きではない我が家は認可外の保育施設を探さなくてはならないのではないかと思っていました。話を伺ってすぐに手続きを進めたところ、地域で一番人気がある保育園にすんなりと通うことができるようになりました。

 保育園への通園は、とても負担が大きいことです。乳児の頃はベビーカーを使っていたのですが、少し大きくなって歩けるようになると、あっちへフラフラこっちへフラフラ動き回ってしまい、妻が追いかけるのが難しくなってしまいました。自治体の子ども家庭支援センターなどが通園の補助サービスを実施していますが、ほとんどが有料です。1時間900円するサービスは、お金のある家庭しか受けられません。障害年金が出ているとはいえ、稼ぎ手が私1人しかいない我が家では、継続して利用することは躊躇してしまいます。本当は訪問介護などでやってもらえると自己負担は少なくて済むのですが、自治体によってサービス提供範囲の解釈に違いがあったりして難しいことが多いようです。そこで我が家では、思い切って保育園のすぐ近くに引っ越しをしてしまいました。それまで大人の足で10分少々かかっていたところが、3分で行けるようになりました。しかも車通りが多いところは1か所だけで、そこさえ注意しておけばある程度目を離しても大丈夫な環境です。妻の病気のことを考えると、毎日の生活リズムを一定にするということはとても大事なことです。できるだけ負担を減らしながら、何とか続けられる環境を整えようと苦心しています。

 病気とうまく付き合いながら、生活していけるように頑張っていますが、それでも症状が突き抜けてしまうことはあります。引っ越しをしてすぐの頃、環境の変化をきっかけにうつ状態がひどくなりました。例によって主治医から抗うつ薬をもらったのですが、それがきっかけでイライラが強まり、攻撃性が増しました。通院がままならなくなり、4か月間主治医のもとを訪れませんでした。薬だけは代理人が貰いに行っていましたが、本人を診ていないためコントロールすることは困難でした。その結果、妻は私が暴力を振るうと警察や児童相談所に訴えるという行動を起こしました。行政の担当者は妻の言うこと全てを鵜呑みにして、私は完全に悪者扱いです。ほとほと困った私は主治医に相談にいきました。主治医は妻が入退院を繰り返していた頃から病状をよく知る人であり、このような行動も症状のせいだということを理解してくれ、全面的に味方をしてくれました。妻は子どもを連れて保護施設に入ったのですが、入院に繋がってくれたため症状は治まり、すぐに私のもとへ帰ってきました。ただ、一方的に私を悪者と決めつけた行政機関から子どもを取り戻すには、1か月もの時間がかかり、その間子どもにはとてもつらい思いをさせてしまいました。

 病状を家族だけで管理していくということは、困難を極めます。このようなエピソードを受けて、訪問看護と訪問介護を導入することにしました。本当はもっと以前から役所の窓口で相談をしていたのですが、「精神障害にそんなサービスは無い」と突き返されてきました。何か大きな事件でも起きない限り、動いてくれないのが行政です。

 訪問看護の導入にあたっては、妻は物凄く混乱しました。他人が家に入ってくることがストレスで、契約の前日には「私はそんなものに全く期待なんかしてない」と叫び、暴れました。何とか抑え込んで契約の日になりましたが、担当看護師の前ではとても大人しく対応します。困っていることは無いですか?と聞かれ、「昨日主人と喧嘩したことです」と答えていました。それを受けた看護師は「喧嘩はダメですよ」と、私へ指導します。当事者へのサービスは当事者のためのものであって、家族は置き去りになってしまうということがよく分かりました。本当に大変な思いをして導入まで漕ぎつけたのに、そのプロセス自体を否定されたように感じてしまいます。この後、急性胃腸炎にかかって病院を受診せざるを得ない状態になってしまいました。どうやったら上手くサービスに乗せられるのか、事前に相談できるようなシステムがあると良いのに、と強く思います。

 訪問介護は、相談から導入まで5か月かかりました。本当に困っているときに、サービスを受けることができないのは、とても困ります。我が家ではその間、家事代行サービスを利用していました。1回1万円程かかるので家計は大変ですが、期限にある程度見通しがついていたため、思い切ってお願いすることにしました。

 私の現在の悩み事は、PTAの役員の進め方など、病気を抱えながらの子育てについてです。家族会に参加することもありますが、ほとんどが親の立場の方であり、病気との付き合い方などで参考になる部分は沢山あるのですが、タイムリーな相談はほとんどできません。配偶者やパートナーの会があれば、同じように困っている人がいるだろうし、解決するための知恵をもっている人もいるかもしれません。私自身の経験も、お話することができるかもしれません。これからの会の活動に、期待しています。